いつも心にファッキン・キョウト
いいたいことは、何でも言えばいいってもんじゃない。
アムステルダムの黒い雨
下着の中はオランダ産チューリップ。「Please Take off」、レンズ越しに映った花弁は麗しく…。
アムステルダム中央駅を降りると、夜でもここだけは賑わいを見せている。地理を知らなくとも、人の流れに任せて歩いていけば、自然といわゆる「飾り窓地帯」=Red Light Districtへたどり着く。
そう、ここはアムステルダムの売春街。アムステルダムでは売春とソフトドラッグは合法化されている。特にこの飾り窓地域は、オランダ人のみならず、他のヨーロッパ諸国をはじめ、その他の多くの観光客が夜に立ち寄る名所となっている。
ベットに洗面所を備えた個室の小部屋が無数に並び、場所によっては迷路のように入り組んでいる。下着姿の彼女たちは窓辺にたたずみ、通行客に微笑を投げ掛け、手招きをする。各小部屋の入り口には赤い蛍光灯のネオンライトが施されており、ライトが付いていればそれは営業中のサイン。部屋によっては、午前中からオープンしているところもある。また窓のカーテンが閉まっている小部屋は、仕事中(取り込み中)を意味する。
彼女たちはその小部屋を、1日f100~150(1f=約67円)でオーナーから借り受け、多くが8時間交替のシフト制を敷いている。つまりひとつの小部屋で昼と夜、それぞれ違う女の子が働くことになる。そして彼女たちは、もちろん女の子によって差はあるものの、およそ1日にf500~750を稼ぎだす。
プレイ料金は、客との直接交渉によって決まるが、まずはf50からスタートするのが基本だ。もちろんこれは最低の料金であり、テクニックやプレイ内容によって値段は上がる。また、特に日本人ツーリストは金持ちとの印象が強いため、かなりの高額をふっかけられることも少なくはない。
女の子たちは、実に様々だ。白人系、黒人系、アジア系…、SM女王様をウリにしている女の子もいる。初めて訪れる際にはなんともいかがわしく、危険な地域との印象を持ってしまうが、実際にはここで働く彼女たちはほとんどが組合に属し、その組合は商工会議所にまで登録されている。つまり、それは安全な売春街であることを意味している。事実、日本のガイドブックには「この地域は注意したほうがいい」と書かれているものの、アムステルダム現地のタウン誌には、逆に「ここは思ったよりも安全な地域」であることをアピールしている。ちなみにこのあたり、写真撮影は厳禁、窓には「No Pictures」のステッ
カーが貼られている。
さて、撮影した女の子はティナ、20歳。出身を聞くと、「ヴァージニアル」との返事。もちろん、処女を意味しているのではない、生粋のオランダ人を意味している。多くの女の子が写真撮影は嫌がる。当たり前のことだ、わけのわからぬ日本人に写真を撮らせ、それをどう使われるかわかるわけもない。あとくされのないプレイならともかく、後の残る写真はヤバイ。自分の身は自分で守る、個人商売の鉄則だ。しかし、金が欲しいのも事実。ヨーロッパでは日本以上に失業者問題が深刻だ。滞在中にもパリでのデモの様子をCNNがトップニュースで取り上げていた。もちろん、このあたりもそう景気がいいわけでもない。以前は上客だった日本人をはじめ、香港、韓国、中国系のツーリストも激減している。日本人に限っていえば、ここでお金を落としていくのは接待絡みの団体サラリーマン。言うまでもなく、今の時代、その数は減っている。
ティナも始めは難色を示したものの、相場以上の額を提示したところ、O.Kしてくれた。ただし、それでも警戒心は強い。フィルム1本も撮りきらないうちに、「ストップ!」と言い、下着を着始める。追加のチップを払ったところで、延長撮影。そして最後に「この写真、他人に売ったりしないでね」と、何度も念を押された。
いかがわしさを感じたこの地域も、慣れてくればほのぼのとした光景に出くわすこともある。例えば、杖をついた老人が行為を終え、満足そうに小部屋から出てくる。シルバーセックスとして利用しているのだろう。最低f50なら、そう高い金額でもない。またこの地域にはポルノショップを始め、ポルノショー、ポルノシアターなども密集している。ポルノショップでは中年カップルが商品のバイブレーターを冷やかし半分に眺め、熟れたフェロモンを発散させている。自分のプッシーにはめ込んだ姿でも想像しているのだろうか。
とはいえ、全く安全な地域かというと、ここはヨーロッパ有数の歓楽街、安全であるはずもない。たかりの浮浪者も多いし、当然、警察もこの地域を重点的にパトロールしている。コーヒーショップ(カフェではない。ドラッグを売っている)も多く看板を並べ、つまりセックスとドラッグが同居している地域だからだ。
近くに教会がそびえ立っている。1時間ごとに鳴り響くその鐘の音を聞きながら、ある者は窓辺で精液を垂れ流し、またある者はドラックに興じる……。
2001年1月。僕は大阪のあるライブホールに立っていた。
前年末、Existenceをたたみ、それまでの生き方の集大成ともいえるべくステージ。
友も、家族も、親戚も呼んだ。みんなに認めてもらいたかったから。雪の降る日の夜だった。
子供に「おまえはパパーッ、パパーッって叫んでたよ」と話すと、今ではちょっと嫌がるような年頃になった。下の子はまだ生まれていなかった。
うるさい音楽など好きなはずもない母親が、
「この曲いいわね」
そう言っていたと後で聞いたのが、「元気でイコう!」だった。
認めてもらいたい友も、僕を認めてくれた。
そいつはステージに上がり込み、以後、僕はそのライブホールを出入り禁止になった。
けど、もちろん許す。むしろ、よくぞ上ってくれた。
あれから10年近く、今僕は、けっして楽ではない生活が続いている。
されど、今でも心の中で叫び続けている。
「元気でイコう!」
この一言を糧に、僕は飯を食っている。